環境破壊と異常気象
2011年、3.11の東日本大震災以来、実は日本では、これまで記憶に無いような豪雨や、突風、季節外れの台風など、人類の未来を予感させるような異常気象が続いている。今年の夏も、台風や低気圧による豪雨により、日本各地で観測史上、最高の雨量の記録を更新し続けた。その豪雨の影響で、京都府内最大級の円墳で、国指定史跡、私市円山(きさいちまるやま)古墳(綾部市私市町)の一部が、1500年来初めて崩れ落ち、広島では一時間120ミリという突然の豪雨による土石流で70名を越える死者が出た。こういった突発的な豪雨は、この夏、毎週のように日本全国を襲い、関西の日照時間は非常に少なく冷夏となった。
この現象は日本だけではない。現在世界中で、これまでに記憶にないような豪雨、竜巻、大型台風、豪雪、高温、低温、干ばつなどさまざまな異常気象が発生し、人類の生存を脅かすような脅威となっている。また、今年急速に猛威を振るい始めたエボラ出血熱、8月に突然東京の公園で感染が確認されたデング熱など、地球環境変化や、交通手段の発達によって、近年あまり広範囲に広がらなかった重篤な感染症が、一触即発の危険をもって、世界中に広がろうとしている。
最近の地球温暖化現象については、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第五次評価報告書によれば、人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の主な要因であった可能性がきわめて高く、加えて、今後の平均気温の上昇量は、より大きくなる可能性が高いと結論づけた。[1] しかし、これに対して、地球の未来については温暖化、寒冷化など研究者によって未来予想は様々であるが、天地自然の変化は多くの要因が複雑に重なって起きているものであり、まさに宇宙の神秘でもある。それを考えれば、地球の未来の確実な予想など出来ないということが正直な回答かもしれない。
しかし、人間活動が自然を破壊してきていることは確実である。森林を伐採し、灌漑施設をつくって農地に適さない土地を緑化し、少々の雨には強い都市を建設し、また工業化を進めたことで、通常は非常に快適で安全な生活を送れるようになった一方、実はより大きな天災の前には、想像を絶する被害をもたらす結果を招いている。人間の行った環境破壊により、多くの種が絶滅に追いやられている中で、私たち人間だけが特別に守られて生きることは出来ないことを、認識すべき時が来ているのだ。[2]
そして、人類も宇宙の一部であり、人体も自然の一部そのものである、というタオイズムの考えに立ち、自然を変え、その調和を破壊するということは、すなわち人間の心と体を傷つけることであり、人類の生存の危機を招き、人類の破壊につながるということを認識しなければならないのである。
中国古代に書かれた、医学書、『黄帝内経』「金匱真言論篇」第四には、
八風発邪、以為経風、触五臓。
つまり、「八風とは自然界の正常でない気候であり、また病を引き起こす素因であって、それは人体の経脈に影響して人体にも悪風が吹き、五臓を痛めるのである」と書かれている。また、そこから病気が発生する原理についても細かく説かれているのである。環境の変化が確実に人体に影響することは、このように古代から言われていたのである。
タオイズムの新時代到来
この異常気象の大きな要因が、人間活動にも起因することがわかった今、人類の明るい未来のために、われわれは生き方を速やかに転換しなければならない。
では、どの道に進むのか、どう方向転換すれば良いのか、その答えは古代中国に生まれた人類最高の叡智である、「道」TAOの哲学にある。古代中国に生まれた哲学が、なぜ現代の、人類未来への解答になるのか? それは、「道」TAOが宇宙の原理原則であり、人間の頭で考えた哲学ではないからである。
「道」TAOは、人間が天地自然から、そしてより広く宇宙から学んだ法則であり、真理である。古代中国の人たちは、人間社会に起きることだけでなく、人間の肉体や心、そしてそれを囲む自然や、宇宙をも観察し、この世の中に起こる自然現象も含めて、すべての出来事を導いている、大法則があることを発見し、その法則に「道」TAOという名前をつけた。そして、人間もその法則に添って生きることによって、この宇宙のすべてと調和し、最も健康的で自然に添った、幸せな人生が送れることを説いた。そして『老子道徳経』はその「道」TAOを説いた人類の叡智が散りばめられた哲学書である。
ところが、現代社会では、文明の発展という名のもとに、天地自然の法則、「道」TAOに反して、人間の欲望のままに開発を続け、人間の便利さ、快適さだけを追い続けた。その結果として、この地球の気のバランスを崩し、環境のバランスを破壊させてしまったのである。その結果として、異常気象が頻発するようになった可能性が高い。このことを考えた時、天地自然に添った生き方、「道」TAOに回帰することこそが、この困難な時代を乗り越え、そして子や孫、そしてその先の世代に、安心して住める地球を残すための、最も効果的で、また最後の選択肢であることがわかってくる。
自然環境を破壊しているといっても、文明の発達も、科学の発展も、経済活動も、本来は人類に幸せをもたらすために行われて来たはずである。またもっと広い見地に立てば、この人間活動すら宇宙の変化の一部であるといえるだろう。だが、人類が幸せに向かって発展させてきた文明の行先(ゆくさき)が、行き過ぎた環境破壊を生み、人類の生存を脅かすことになってはならない。人類の本当の幸せにつながるためには、忘れてはならないことがあるのだ。
それは我々人類も宇宙の中に生かされているのであり、人間が自力で生きているのではないということだ。それはこれだけ科学や医学が発達しても、細胞一つさえ作ることができない現状を見ても明らかである。私たちの命ですら、自分のものではないのである。
古代中国の賢人が、「道」TAOを最も大切な根本哲学として『老子道徳経』を書き残している。我々は、今こそこの老子を学び直すべきである。そして、我々の肉体もこの道に添って産み出されたことを知り、この天地自然と私たちの肉体も心も、実は一つにつながっていることを認識することが大切である。そして、常に私たちの周りにあり、私たちに多くの恩恵を与え、生かしている自然を、自分の体のように大切にすることである。天地自然に添って、「道」に添って、宇宙と共に生きる意識を持つことが必要なのである。人類はこの宇宙に生かされているのだ、という認識をはっきりと持ち、人間中心の考え方を転換し、宇宙と共生する人生観へと転換する必要がある。
異常気象に怯える現代は、古代中国に生まれ、天地自然に学んだタオイズムの哲学が、最も必要とされている時代に突入したのである。我々は、人類未来の指針として、これを広く提唱し、伝えてゆく責任がある。そして、「道」TAOを、古代中国の古い時代の哲学としてではなく、非常に新鮮な、現代にこそ必要とされる哲学として説くべきである。地球に64億もの人口を持つ私たち人間が、ここで変わらなければならない時が来ているのである。
人類は過去の長い歴史で経験してきたように、これからも、天地自然の大いなる力の下では未だに無力であり、予想のつかない気候変動にその都度適応してゆくしかないのが現実である。しかし天災の脅威におびえ、恐れ、人生を消極的に生きるのではなく、天地自然、宇宙と調和した、もっと積極的な生き方を選択すべきである。
天地自然に添って、積極的に宇宙と共に生きる、つまり宇宙の原理原則「道」TAOに添って生きることである。上から下へと自然の法則に添って淀み無く流れる水のように、自分自身を養生しながら、天地自然の流れに添って生きる、無為自然の生き方をすべきなのである。そして毎日の生活を、自分自身で養生しながら、「道」TAOを実践するのである。
3.11の大震災での津波、そしてこの夏の豪雨、これらはすべて水の為した自然現象である。我々は水への畏敬を忘れないだけではなく、この水に生き方を学べば、より幸せな道が開けるのではないだろうか。日常の生き方を水に学び、タオイズムで生きるライフスタイル、これが「TAO Life」である。これこそが人類の未来を考えるときに、唯一残された、最も身近にある、明るい未来への道なのであると思う。
人間だけの利益を追求する知恵を構築するのではなく(足るを知る)、無為自然の大きな智恵に学び(上善は水の若(ごと)し)、人間も天地自然の一部であることをしっかりと認識して、天地自然を大切にし、そして調和し(争わざるの徳)、対立することなく添う、宇宙とともにより大きな幸せに向かう生き方こそが「TAO Life」なのである。
『老子道徳経』の72章には、次のように記されている。
民、威を畏れざれば、則ち大威至る。
其の居る所を狭むること無かれ。
其の生ずるところを厭(あっ)すること無かれ。
この章について、日本道観始祖、早島天來は次のように説いている。
「人々が天威を恐れなくなったら、世の中は大変なことになるぞ」という、今の時代に一番適した忠告だ。……人間はともするとこの「道」の存在を忘れがちであり、人知がオールマイティのように錯覚し、その結果、自分自身をがんじがらめに縛りつけたり、地球を破壊するような愚行をしている。……その結果がどうなるかというと、人間は自分で自分の首を絞めるようなことをしている。
早島天來 著『定本「老子道徳経」の読み方』より
天地自然は古代から常に温暖化や寒冷化を繰り返して、変化流転してきた。日本の平安時代には現代より高温化の時代を乗り越えてきているのであるから、これから未来も工夫と努力と強調によって、生き残ってゆけるだろう。しかし、我々人類は、この200年ほどで急速に農業を拡大し、効率化し、工業を発展させ、自然災害や飢饉に負けない社会を作りだし、人口を増やした。だがその反面、小さな災害を防ぐように作られた環境では、大きな自然災害による死傷者は、予想を越えて大きくなる。人間は急成長したと思っても、結局自然には勝てない。無防備なままなのである。そのことを知って、天への畏敬の念を思い起こし、天に学び、そして未来の時代に伝えてゆく必要がある。そしてまた、今選択すべき生き方は、宇宙の大法則と調和し、すべての存在と共生する生き方、TAO Lifeなのである。
今世紀末には世界の人口が100億人を突破するといわれている。そしてこの地球には、100億を超えた人たちを養う食料も不足するし、飲料水も足りなくなるといわれている。エネルギーについても同じであろう。そんな中で我々人類は、限りある地球上の資源を奪い合い、戦い合う生き方に進んではならない。互いに話し合い、分かち合い、協力して、世界の人たちが手を取り合って生き抜く道を探すべきなのである。そしてそれは人間だけでなく、また地球だけでなく、宇宙に存在するすべてとの共存を考えるべきなのである。
それは、皆が対立し競いあうのでなく、宇宙にあるすべての存在と共存する生き方である。洪水や津波など天地自然に突きつけられている脅威を、ただ恐れ、逃げるのでなく、積極的に天地自然に、水に学ぶ生き方、「道」TAOへ回帰するべき時が来ているのである。そして今を逃したら、人類の破滅への道は急速に早まり、未来の地球が、我々人間にとって幸せな世界として存在することは、できないのではないだろうか。
TAO Lifeへの道
しかし、現実問題として、人間の欲望を押さえることは難しく、自然に添うといっても、便利で楽な生活に慣れた現代人が、せっかく構築してきた文明の利器を捨てることはできない。とはいえ、文明の利器や欲望がすべて悪いというのではない。食欲にしても、睡眠欲にしても、性欲にしても、金欲にしても、そして便利なコンピューターやメールによる通信にしても、人類の生存にとって、また前向きな人生にとって、楽しみであり、向上心につながることでもあり、必要なものでさえある。大切なのは、適度ということである。適度であれば、活性化した健康的な社会にとって、それらはプラスなのである。紀元前に書かれた『老子道徳経』にこそ、その答えがあるのだ。
多くを蔵すれば必ず厚く失う。
足るを知れば辱められず。止まるを知れば殆(あやう)からず。
以て長久なるべし。(『老子道徳経』44章)
限り無い欲望を追求している、競争原理、経済至上主義の現代において、我々が心すべき非常に大切な真理が、ここに述べられているのである。そしてまた、『老子道徳経』46章には、戦いと平和についても書かれている。
限りある食料やエネルギー、そして水を奪い合うことになるであろう、人類の未来にとって、この章は最も大切な章でもあるといえる。
天下に道有れば、走馬を退けて卻(しりぞ)けて以て糞(つちか)う
天下に道無ければ、戎(じゅう)馬(ば)郊に生ず。
罪は欲す可きより大なるは莫(な)く
禍は足ることを知らざるより大は莫く、
咎(とが)を得んことを欲するより大は莫し。
故に足ることを知るの足るは、常に足る。(『老子道徳経』46章)
天下の政治が道に従って行われているならば、軍馬も戦場に行く必要がないから、農耕に従事していればよい。そして戦いになるのは、限り無く欲望を増大させるからであり、「足る」を知らないから大きな禍が起きるのであり、「足るを知る」の「足る」とは、常に足ることである。
つまり、この「常に足る」という意味は、道に則った「足る」であり、無為の「足る」である。ここで誤解してはならないのは、これは決して少しあればいいからと、互いに我慢しようという消極的な「足る」ではなく、道に添って生かされる世界の「足る」であり、そこには非常に深い意味があるのだ。何かを手にいれた満足といったものではなく、すべてが充足させられている満足の世界である。これは実は非常に積極的な足るであり、これからの人類が求めるべき「足る」とは、この「無為の足る」なのである。
皆、理屈では、皆で分け合えば良いと思い、また「足るを知る」ことは大事だと頭でわかっているようでも、世の中には戦いはやまず、また毎日の食事でさえ、食べ過ぎのコントロールができない。これはなぜだろうか。またどうしたら「足る」という世界を理解し、より大きく高いレベルの「足る」を体得することができるのだろうか。そのためには、理屈の世界から、道家の修練を行った、心と体両方からの無為自然への回帰こそが必要なのである。
「足るを知る人」になるためには、まずは人体を無為自然にすることが最も大切である。 人間の思考や行動にも、体の状態が大きく影響しているのである。つまり人間の考えは、体を通して浮かぶものであり、それは脳という一部の部分だけで生じる現象ではない。つまり古代中国の伝統医学に説かれているように、心と体は切り離すことはできない表裏一体のものである。人体は小宇宙なのである。
「陰陽応象大論篇」第五には、陰陽が宇宙の絶対法則であり、すべての事物の大綱であり、人の生き死にも、病気の治療も、この陰陽の変化の根本を追求して行なわれると説いている。つまり、体に気の滞りがなく、体内の陰陽の気が調和していれば、体内の小宇宙は大宇宙と一体となる。それはつまり天地自然と一体であるということであり、天人合一である。そして人体が天地自然と一体であれば、おのずと「足る」が体でわかるようになるのである。
食欲にしても、赤ん坊は無為自然の健康体だから、ミルクを一口でも飲みすぎれば口から吐き出す。これが無為自然の宇宙と一体になった体の状態である。同じように、大人であっても、本当に健康で気のある胃腸であれば、満腹に気づき、それ以上を欲しがらないのである。また疲労についても、一日の疲労は夜寝れば回復される、これが健康な日常である。
働き過ぎて倒れるというのは、やはり欲のせいなのである。もっと金がほしいとか、もっと高いポジションに上がりたいとか、すばらしい仕事をしたと尊敬されたい、などなどの欲が原因なのである。我々の命が天地自然に与えられたものであることを思えば、この命を引き替えにしてまで、するべきような仕事は無いのだ。
この体を、健全な体、宇宙と一体となった、体内の気血の滞りのない体にするには、古代中国に開発された導引や気功、静坐などの道家の気の修練を行うことが重要である。
そして、道家、道教に伝わる修練を、現代に広く伝えることは、その恩恵を受けている我々タオイストが、来たる人類の未来に貢献するための、非常に重要な使命なのである。
日本も、平安時代(794-1185)には温暖化の時代、そして江戸時代(1603-1868)には寒冷化の時代があった。温暖化の平安時代には、中国の医学書を学んで、日本初の医学書、『医心方』が出版された。また天皇家でも家庭教師をつけて老子、荘子などの道家の哲学を学んでいたといわれる。江戸時代の寒冷化の時代には飢饉があり、非常に多くの人たちが亡くなっている。そんな中で、江戸幕府は鎖国によって戦いの無い、安定した時代において、中国伝統医学の書物を真剣に輸入し学んだ。
そして日本で最も有名な養生書を書いた、貝原益軒の『頤(い)生(せい)輯(しゅう)要(よう)』(『養生論』)が生まれ、そして、それから30年ほどして、益軒が83歳のときに完成されたのが、日本で最も有名な養生書、『養生訓』なのである。他にも江戸時代にはたくさんの養生書、また導引についての書が出版された。日本が中国に稲作や文化を学んだ歴史は2500年以上の長きにわたるが、この江戸時代ほど、多くの書物を中国から輸入し、特に、道家、道教、医学の書を真剣に学んだ時代はなかったといえるだろう。
また、日本道観始祖の早島天來は、人間がなかなか捨てることの出来ない欲について、次のように述べていた。「どうせ欲を持つなら、宇宙いっぱいの欲を持て」と。宇宙いっぱいの欲? それはどんな欲だろうか、そんな大きな欲は想像もつかない。しかし、よく考えてみると、これこそが天人合一に至る道なのである。
日頃人間が考える欲望は、自分一人の利益であったり、あるいは家族や自分の会社、そして国などと、その利益の及ぶ範囲は小さい。だからこそ周りとの対立が生じ、争いが生じ、さまざまな気のひずみが生じ、無為自然の調和を乱すのである。ところが宇宙いっぱいの欲を考えた時、日頃持っている欲は、それとは比較にならないくらい、ちっぽけで つまらないものに見えてくる。宇宙いっぱいの欲とは、欲望をどんどん膨らませていって、宇宙が全部はいるくらいの欲にまで、限りなく大きくするわけなのである。
そうなると、その宇宙いっぱいの欲とは、国や民族や、人間だけの範疇を超えた、宇宙のすべての存在に利益し、運行に添った欲であることに気づく。つまり、宇宙の原理に添った欲である。この思いで生きれば、自然に小さな利益に凝り固まった利己主義に陥ることもなく、宇宙の運行を乱すような欲望の追求を続けることはなくなる。そんな宇宙いっぱいの欲を、人間一人一人が持とうと思うだけでも、考え方は広くなり、宇宙との共生に近づくのである。
『老子道徳経』を学び、道家、道教の養生によって体を無為自然にすることによって、この宇宙いっぱいの欲がよく理解できる。そしてこれが、TAOそのもの、つまり天人合一の哲学なのである。すべて物事の思考を、小さな人間社会から脱出させて、宇宙の規模で、天地自然全体の大きな見識を持って、健康に積極的に楽しく生きることなのである。そこには豊かで充実した人生、すなわちTAO Lifeがある。
宇宙いっぱいの欲を持てば、対立がなくなると述べたが、『老子道徳経』68章には、「不争の徳」について書かれている。
善く士たる者は武ならず。善く戦う者は怒らず。
善く敵に勝つ者は與(くみ)せず。善く人を用うる者は之(これ)が下(しも)となる。
是(これ)を争(あらそ)わざるの徳と謂(い)う。是を人の力の用うると謂う。
是を天の極に配すと謂う。古(いにしえ)の極なり。
人生には風が吹くこともあれば、嵐の日もあるように、時には戦わなくてはならないこともあるが、戦わずにすむものなら戦わないほうがよい。(中略) 逆に争わざることこそ、一切の万有(この世のすべてのもの)を生かし得る天の道である。
早島天來 著『定本「老子道徳経」の読み方』より
『老子道徳経』に書かれた「すべてを生かして、戦わない生き方」、すなわち天の道に沿うためには、人類は今こそ、古代中国に完成された、時代を超えて非常に新鮮で力強い哲学、無為自然の宇宙の原理原則である「道」TAOを学びなおし、養生によって、体の無為自然を保ち、地球の平和と豊かな未来のために、皆が手を取り合って、前進してゆくべきであると思う。
異常気象の現代に生きる我々は、今こそ新たなるライフスタイル、TAO Lifeに転換する時が来ているのである。今こそ人間そのものが変わらなければならない時に来ている。そしてそれは、人間の目線からの地球、宇宙との共生ではなく、宇宙の視点に立った、共生、調和であるべきなのである。
結論
異常気象や感染症など、多くの種を絶滅させてきた人間活動がなした環境破壊により、すでに人間は、その力の及ばない多くの脅威にさらされている現代に、人類未来の選択する、より良い道とは、宇宙の原理原則に学んだTAO Lifeへの方向転換である。
TAO Lifeとは、水に学び、無為自然に宇宙の原理原則に添って生き、足るを知って、限り無い欲望に翻弄されることなく、心身を天地自然に調和し、人類だけでなく、宇宙に存在するすべてのものと調和し、共生する生き方を実践するものである。
それはまた、道家、道教の養生によって無為自然の心と体を保つことで、人間至上主義の考えを脱出し、宇宙と共生する、積極的な生き方である。予測不可能な天災の脅威に恐れ、消極的になることなく、日々を楽しく積極的に生き抜く、タオイストの未来に向けた生き方なのである。
そしてこれは、人間が環境破壊の手を緩める生き方への転換ではなく、人間そのものが無為自然に回帰し、道に調和する存在に変わることを決意する生き方にほかならないのである。
- [1] IPCC(2013):「IPCC第5次評価報告書 第1作業部会報告書(自然科学的根拠)政策 決定者向け要約(SPM)」(気象庁訳)http://www.jma.go.jp/jma/press/1309/27a/ipcc_ar5_wg1.html
- [2] TEEB(2008)「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)中間報告 (住友信託銀行、日本生態系協会、日本総合研究所訳) http://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/service/special/content5/corner28/teeb/STB_TEEB_081202.pdf
- [3] 日本環境省(2010):「環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書」
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h22/ (第一部) - [4] 日本気象庁(2014) 世界の週ごとの異常気象 全球異常気象監視速報(No:756)
http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/monitor/weekly/weekly_20140827.html - [5] イギリス気象庁(2013) Met Office Hadley Centre observations datasets
「Global average temperature anomaly」
http://www.metoffice.gov.uk/hadobs/hadcrut3/diagnostics/comparison.html - 『古今養性録』巻8、9 竹中通庵 撰 1692(元禄5)年刊
- 『養生主論』松本遊齋著 1832年(天保3年)
- 『頥生輯要』(古今養性論和解 貝原先生養生論)古今養性論和解序 養生論敘 1~5巻、序 全6冊 1787年
- 『重廣補註黄帝内径素問』24巻(12冊) 唐王水 注;宋林億 校正;宋 孫兆 改誤;明 熊宗立 句讀 1663(寛文3)年跋
- 老子道德経 3卷 王弼注 岡田権兵衛 和訓 1732(享保17)年
- 早島天來(正雄)(2011) 『定本「老子道徳経」の読み方』
- 石原保秀 早島天來(正雄)編(2010):『定本・東洋医学通史』日本道観出版局
- 吉元昭治(1994):『養生外史―不老長寿の思想とその周辺〈中国篇〉』 『養生外史―不老長寿の思想とその周辺〈日本篇〉』医道の日本社
- 小曽戸洋(1996):『中国医学古典と日本 ー書誌と伝承ー』塙書房
- 服部敏良(1981):『日本医学史研究余話』科学書院
- 貝原益軒 石川謙校訂(1961):『養生訓・和俗童子訓』岩波書店
- 南京中医学院医経教研組編 石田秀実監訳(1991):『現代語訳 黄帝内経 素問 上巻』東洋学術出版社
- 藤浪剛一(1942):『日本衛生史』日新書院
- 中央気象台 海洋気象台篇(1976) 『日本の気象資料』(1)(3)原書房
- 小西雅子(2009) 『地球温暖化の最前線』岩波ジュニア新書
- 石弘之(1998) 『地球環境報告』岩波新書
- 石弘之(1998) 『地球環境報告2』岩波新書
- ブライアン・フェイガン(2008) 『古代文明と気候大変動』 東郷えりか訳
- ブライアン・フェイガン(2008) 『千年前の人類を襲った大温暖化』 東郷えりか訳
- 安田喜憲(2004) 『気候変動の文明史』 NTT出版
- 渡辺 正(2012)『「地球温暖化」神話 終わりの始まり』 丸善出版
「第三回国際道教フォーラム」スピーチ 2014年11月25日